開示の理念

ドキュメントレビューが、もっとも、よく使われるのは、海外訴訟対応の分野になります。

米国においては、民事訴訟の当事者間において、原則として相手方の保持している証拠について提出等を受けることができます。この手続は、ディスカバリー(以下、「証拠開示」という)といわれています。この証拠開示の範囲は、きわめて広範なもの(具体的には、米国においては、文書の提出、質問書に対する回答、証言録取などまで含む)と認識されていて、わが国の裁判の様相とは、全く異なるものということができるでしょう。この手続を支える理念は、米国だけではなく、コモンロー諸国に、共通するものであり、現実に、証拠開示の手続は、程度の差こそあれ、コモンロー諸国に採用されています。(英国においても、導入さています。また、シンガポールでも、電子文書がディスカバリの対象となることを前提としています)

コモンローの国におけるディスカバリーの理念を示す言葉は、「トランプを表に(Cards face up on the table)」という言葉で象徴されるということができるでしょう。
英国のJohn Donaldson 卿(記録長官)は、Davis v Eli Lily & co.[1987]事件において、
「平易な言葉でいえば、この国での訴訟は『トランプを表向き』にして行われる。他の国からきた人のなかには、これを理解できないことというひともいる。『何故』彼らは言う。『相手方に私をうちまかす手段をあたえよ、というのか』と。勿論(その通りである)、その答えは、訴訟は、戦争でなければゲームでさえもない。訴訟は対立する当事者に真の正義を行うよう構築されており、もし、裁判所が関連するすべての情報を有していなかったなら、この目的を果たしえないのである」
と述べています。
これに対してわが国では、自動的な開示制度のようなものは、わが国においては採用されていません。たとえば、当事者照会(民事訴訟法163条)が制度として採用されていますが、これに対して、回答しないとしても、とくに制裁がなされることはありません。

また、民事訴訟法上、「文書の特定のための手続(同法222条)」「文書提出命令(223条)とそれに従わない場合等の効果(224条)」などの制度が存在していますが、実際に相手方のてもとにある証拠にアクセスが確保されているという運用ではありません。

「訴訟は、闘争であり、当事者は相手に打ち勝つために渾身の力をふりしぼって戦い、そして法的闘技の場から戦塵がおさまると正義が勝ち誇ったように顕れる」という理論は、「論争的裁判の理論」といわれていますが、日本における法曹の実際の行動の念頭には、このような観点があるのかもしれません。

しかしながら、コモンローの国での裁判と根本的な認識が違うように思われます。